これが最後のサマータイム。
…ということはもう、電池の交換以外で掛け時計を手に取る機会も巡ってこなさそうだ。
年に2回、まるでタイムトラベルをするような錯覚に陥るこの習慣。腕時計とはなぜか全く違うそれが、私はけっこう好きだった。だけれど面倒ごとも多くメリットは少ないらしいから、しかたない。それは分かる。
最後の別れを惜しむかのように、長針をゆっくりと逆回りに1周させる。時間にルーズな私に意味があるのかないのか、ほんとうの時刻から数分早くずらして掛け時計を元の位置へと戻した。
便利な時代になったものだ。設定さえちゃんとしていれば、スマホもパソコンも勝手に夏と冬を入れ替えてくれる。
ここ数年は、本番を控えた前日には皆で針をどちらへ戻すのか、何度も真剣に確認するということもなくなった。1時間長く眠れるのか、それとも1時間早くヘアメイクさんのところへ行かなければならないのか。時間通りに現れなかったうっかりさんも、やっぱりいた。
サマータイムにまつわることで私が一番困った話は、やはりあの夜のことだろうと思う。
14年と半年遡って17歳。ジョンクランコバレエスクールの最高学年だったときのことだ。
就職活動、いわゆるオーディションというものを受けるため私はひとりで夜行列車に乗っていた。寝台を利用するときもあったけれど、その日は普通のコンパートメントだった。今ではもう見かけない、淡い灰色の椅子だった。…確か。
最初のオーディションと言えばクラス総出でブリュッセルまで出かけて行った。初めてということで緊張はしたけれど、皆と一緒だったから怖くはなかった。まるで卒業旅行みたい、なんて笑いながら、ついでにめいっぱい観光も楽しんだ。クラスメイトのひとりが契約をもらった。その子は結局シュトゥットガルトバレエに入団することになるのだけれど、仲の良いクラスだったので、その場は皆でお祝いした。それが9月。
そこからオーディションを受ける度にひとり、またひとりと人数が減っていった。そのうちに私はある本番で捻挫もした。痛み止めを飲みながら就職活動は続けた。
そして3月の末、サマータイムが始まりを告げる夜に、私は独りで夜行列車に乗っていたのだ。
ふと、乗り換え予定時刻が冬時間での表記なのか、夏時間に替わってからの時刻を指しているのか分からなくなった。当時2006年。スマホはなかったが人に尋ねれば何とかなる。
二人掛けのシートで廊下側を頭にして縮こまっていた身体を起こし、私は辺りを見渡した。車両には私の他に、誰もいなかった。
うろついてみたけれど、乗客も車掌も誰一人見当たらない。寒いくらいに蛍光灯が白く照らす車両は、なんだかただの箱みたいだ。
信じられない気持ちで席に戻った。それからはいくら能天気な私でも、次に車掌が通りがかるその時まで一睡もできなかった。
体内の時間感覚は狂っていて、箱の中の時間の流れも確かにいびつだったあの夜を、今思い返せばそれはタイムトラベルをする乗り物そのものだったのに。楽しめればよかったね。もったいないことをした。
きっともう巡り合うことはないタイムマシン。あれは私の中の、サマータイムの遺物なのだ。
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