【手記】あなたが自分の「好き」を優先すべき理由(あるいは私が以前の職場を、だいぶ見切り発進で辞めたときの話)

ドイツでの暮らし

私は踊りを嫌いになりかけていた

以前の劇場に勤めて8年目に辞める決断をしたとき、私は踊りを嫌いになりかけていた。

そのあらましについて多くは語るまい。端的に言うと当時の働き方が、私の目指すものと大きくかけ離れてしまっていただけ。

銀行口座に毎月振り込まれるお給料すら苦痛だった。私はこの額に見合う仕事をしているのか、とはなはだ疑問であった。

仕事に行きたくない。これは私の踊りたい『踊り』じゃない。踊りたくない。

――あっだめだ、このままじゃ踊りが嫌いになってしまう…。

心の中で摩擦が生じ、フラストレーションが溜まっていた。このご時世に贅沢を言い過ぎではないかと叱咤しながら、真綿で首を絞められたように浅い呼吸でずるずると過ごしていた。

そんなある日、劇場側から舞い込んできたのは「契約内容を一部変える」という話。

内容を確認して、多くの同僚が『改悪』の2文字を頭に浮かべただろう。けれど新しい契約に同意しない限り、契約の延長はない。つまり契約更新が一律で打ち切られることが決定していたので、皆しぶしぶサインをしていた。

私はというと、まさに『渡りに船』!

なんせ向こうから契約更新を切ってくれたのだから、私が次の仕事を見つけられなくとも失業保険がおりる!!

ってなわけで、その新しい契約を蹴った。スパイクのついたサッカーシューズでわっしわっしと地面を踏み、全力で足を振り抜いた。

「ナイッシュー!!!」

そんな爽快感があった。

だいぶ見切り発車した私に、皆絶句した

1年後には劇場を去るカウントダウンが始まった。と同時に、夏休みも幕を開けた。

心は羽根が生えたように軽く、私は会う人会う人に、今の劇場を辞める次第をうっきうきで話した。

「えっ!? 次の仕事は!?」

「まだない! 来年どっかで拾ってもらえんかったら、バレエもう辞める!

だいぶ見切り発車した私に、皆絶句した。特にダンサーの友人らは、仕事を見つけることがどれだけ大変か、身に染みて分かっている。

せめてサインだけでもと勧められたけれど、「これ以上あそこにいたら踊りが嫌いになってまう」と返したら、腑に落ちたようだった。その言葉のヤバさを理解するのも、やっぱりダンサーだった。

自分の人生を全否定することだ。踊りを嫌いになるっていうのは、つまりそういうこと。

心は、枯れると、なかなか元気な状態には戻ってくれない

そうして迎えたシーズン9年目。

負ければバレエから撤退」の背水の陣で、私は就職活動に挑んだのだった。

結果、運良くまだ踊り続けているし、なんなら今は舞台ができずとも楽しい。そんな日々を送っている。

私の言葉はきっと生存者バイアスなのだろう、とは思う。それを承知で、あえて強めに主張したい。

あなたが自分の「好き」を失いかけているなら、今すぐに環境を変えることをおすすめする

月並みかもしれないけど、これは本当のことだ。

心は、枯れると、なかなか元気な状態には戻ってくれない。懸命に、つきっきりで水や気温や陽当たりに注意してあげてもしかしたら、ひょっとしたらまた芽を出してくれるかもしれない。

幹の内側は見えないないから、その瞬間を外側で待ち続けないといけなくなる。辛抱強く。

だから、好きなことを仕事にしているなら尚一層、あなたの心が削られていないか気を配ってください。たとえ自分のマインドを変えて負担を軽減しようと、根本的解決にはなってないからさ。

心の声に耳を傾けて、あなたの「好き」を優先してね。

あなたが努力を努力とも思わず邁進できるのは、あなたが好きなことを好きでいられる間だけ。

エンジンがつかない車をしょうがなく手で押すなんてつらすぎるし不毛だし、目的地がある場合はそこに辿り着けるかももはや不明。笑

動かない車は乗り捨てて、手がかりを求めて歩き出そう。

まあもちろん、車がもう煙を上げた時点で手を打つのがいちばんいいよね。完全に止まる前にね!

…なんかちょっとしんみりしてないか?

このめっちゃ笑えると話題の履歴書の書き方でも読んで、元気だしてくれい。なんなら役立ててくれい。これは芸術家じゃなくても言えることだね、ってご好評いただいてますので。

今回はこんなかんじでした。なんかやっぱり一人称が「私」っていうのがいやだなあ。私私って並んでて申し訳ないです。笑

ま、でも。これ読んでちょっとでも勇気とか食欲とか、なんかいいかんじのエネルギーが湧いてきたら嬉しいです。ではまた!

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