念を押すが、私は謙虚な人間なんである。
いや初っ端からいきなり念を押されても、と戸惑われるだろうけれど、これだけは言っておきたい。
私は実に謙虚ゆえ、少女の時分に「プロのバレエダンサーになれる」などとは露ほども思っていなかったのだ。
それがある日「ひょっとしたら、なれるのかも…?」という出来事に遭遇。
そこからあれよあれよと流されて、4年後には劇場の専属バレエ団に入団することになるわけだが――。
まず今日はその、私の人生の航路が面舵いっぱいめいっぱい、方向転換した日の出来事をお話ししたく思う。
読み終わる頃には、あなたもひょっとしたら『5㎝の魔法』にかかっているかも。…だといいな。
14歳のある日
14歳のある日、私の通うバレエスクールに、アメリカからのゲストティーチャーが来ていた。
彼の名はカーク・ピーターソン。ABT(アメリカン・バレエ・シアター)という、超がつくほど有名なバレエ団のバレエマスターである。
YAGPという国際コンクールの審査員を務めていたのだが、その日本予選がうちの教室で開催される運びとなったからか、こちらにいらしていた。だからついでに私たちスクール生も、1レッスンだけ見てもらえることになったとのこと。中高生がまとめて、スタジオにぎゅうぎゅうに詰め込まれた。
レッスンが始まる前に考えたことは、今でもはっきりと覚えていて。
(そっかぁ…遠いアメリカからわざわざ来てくれたんやから、いつもみたいに下向いて暗い踊りしてたら申し訳ないな。よし、今日は5㎝顔を上げてレッスンしたろ!)
それが私なりのお・も・て・な・し精神だったらしい。(ちょっと笑える)
いつもは自分の身体にばかり気をつけていたけど、そのときばかりは斜め上の目線をキープすることだけを考えていた。
ななめ上を見た。ほんとに、バレエをしていて初めてぐらい、あんなにあごを上げた。
そしたらなんだかちょっと楽しくなり、聴こえてくるのは陽気な英語で、気分はもうinアメリカ。ぷしーっとコーラを開けたくなるくらいノリノリ。(コーラ飲めないけど)
レッスン後ぼーっとしながら、とてもよい体験をさせてもらった…と汗を拭いていたそのとき。
「ちほー? ちほおるかー? あと○○もー」
先生が私ともうひとりを呼ぶ声がして、駆け付けるとカークがいる。そこに座れと指示を受ける。
その場でいきなり、ABTの開催する夏季集中講習を受ける資格をいただいた。NYに6週間。
えっオーディションだったのか?(騙し討ちか!?)
目を丸くしながら、とりあえず行くと返事をし…。(ちなみにNYに出立する日と被っていた中学校の修学旅行は、断念した。いつか絶対に沖縄に行かねば)
数か月後、私はほんとにNYにいた。
数か月後、私はほんとにNYにいた
周りは件の国際コンクールでスカラーシップをいただいている子たちばかり。性格は濃く、年齢層も幅広い。度胸があって、芯が強い。
とてもいい刺激になった。英語が分からないなりに、できる限りのことを学んだ。
なによりも嗚呼、アメリカ! 何もかもが、でかすぎる!!
それをそのまま反映したような周囲の踊り。
ダイナミック! パッション! ディティールなんて・内側なんてどうでもいいの。外側が全てよ! 私を見てよ!!
端的に、こんな印象を受けた。もちろん、そこにはまだまだ未熟な子どもたちばかりが集まっていたからだろうが14歳の私はそう感じたのだ。それ以上でも、それ以下でもない。間違ってもアメリカをディスってなどいない。私はここで活躍できる器ではないと心底感じただけ。
日本に戻ってから「なるほど、私はアメリカではないんだな…」と考えていた。ロシアでもないな。多分ヨーロッパだな…と。
そう、なんだか考えがいつの間にか「外に出る」方向になってしまっていた。
あのとき、たったの5㎝顔を上げたことで
そうしてまた数か月後、私は縁あってドイツに赴くことになり、今に至る。
当時から、自分の踊りのことはよく分かっているつもりだった。どこかが特化しているわけでなく、スタイルは可もなく不可もなく。コンクールで入賞できるようなタイプのダンサーでは決してない。無難もいいところ。
だからこそプロへと続く分岐点なんて、自分には訪れないだろうと思い込んでいた。
けれど私は思う。内気な自分の人生を変えたのは、紛れもなくあの5㎝だった。
比喩でなく。あのとき、たったの5㎝顔を上げたことが、世界の景色を変えたのだ。
ちょっとしたドラマになっちゃったね。今日はこのへんでおしまいにしておきます。自分語りみたいなことはnoteに綴っていましたが、せっかく自分のプラットフォームがあるのだしとこちらで書いてみました。いかがでしたでしょう。
あなたもよければ『5㎝の魔法』をご自身にかけてみてね。なにかが変わるよ。きっと。
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