こんにちは! ドイツの劇場でバレエダンサーとして働く、筆者の川端(@ChihoKawabata)です。
『華がある人』という言葉の意味がようやく分かった。
しかもなんか、物理的に理解した気がする。
そんなお話です。
コンテンポラリーは自由
コンテンポラリーダンスは全てが自由だ。
身体はどんな道筋を通っても、どんな筋肉の使い方をしてもいい。あなたの踊りのセンス、そして生き方が表現にそっくり反映する。
振付家との兼ね合いはあれど、そんな、ある程度フリースタイルなコンテが私は好き。
実際に裸を見せる趣味はないけれど、ないからこそ、丸裸を視られているようなその居心地の悪さが好きなんです。(マゾかな? はっはっは)
対するバレエは「こうではならない」というものがある。
全員が暗黙の了解でその形を目指していて、私は観客に「そんな似たり寄ったりのものばっかり何度も観て、面白い?」と尋ねて回りたいくらいだった。(煽るやん)
前にも話したと思うけども、私は自分が踊ることは好きでも観る方といえばさっぱりで、「観る人の気持ち」っていうのがいまいちぼやぁ…っとしている。
だってね。踊る側にとってバレエは動きのひとつひとつが「針の穴に糸を通すような作業の繰り返し」で、だからこそ絶えず緊張感もある。達成感も。
たとえば沢山回転したりみたいな、分かりやすく穴が小さくって、通るか通らないかぎりぎりだな…っていうのが伝わるものは観客も「湧く」んですよね。
でも古典バレエの中のそういった「技術の見せ場」はほんの一瞬であって。実際は一歩踏み出すだけの行為が既に、針の穴だったりするわけで。
だから見る側にとって、「針の穴に糸を通している人を眺め続ける2時間」は果たして面白いのか? という疑問が今までずっと付きまとっていてですね。笑
社会的ステータスというウェイトの随分と軽くなったバレエを、なぜ人は鑑賞するのか? 何に魅せられて劇場に足を運ぶのか? バレエの美しさの正体とは!?
――次回に続く!!
いやいや、このまま続きます。まだ何も言ってへん。笑
花に似ている(物理)
毎朝レッスンをしておきながら、観客の立場になってみるとやたらおぼろげだったバレエ。
でもほんの数日前のレッスン中、筋肉の使いたい部分だけをもわもわイメージしながら、ふと気付いたことがありまして。
「あ。この形、茎とがくや」
花を下から支える『がく』、そして『茎』。
緑でマークしたとこが、私の使いたい筋肉です。背面もこれと同じかんじだから、ほら。まんま、茎とがくじゃないですか?
だから自然と、思ったんですよ。あっ、『華がある人』っていうのはこの場所、茎とがくの上に、花がぱっと咲いてる人なんだって。ダンサーでいうなら、この茎とがくにあたる部分のスタミナをつけることが、花を長く咲かせるコツなのかもしれない。
それで試しに、レッスン中にその花を咲かせてみたの。
するとまあ、びっくりよ。自分でもびっくりするビフォーアフターよ。
なんか自分からいい香りがするような気さえする。笑
表現の『プレゼンテーション』っていうのは相手に伝えたり、届けたりすることだと思っていた。
けど、ただそこに咲いているだけで十分な表現になるんだ…ってね。分かってよかったね、32歳! ってかんじです。今更、とは口にするまい。笑
人はなぜ古典バレエを鑑賞するのか
現代風の演出を加えたりも、才能ある振付家の改訂もなにもない古典バレエを、人はなぜ見続けるのだろう。動きとかがよく分かってなくても、楽しいものなのかな?
そんな私の謎は、ダンサーが花そのものであると理解した瞬間に、すんなり納得できたんです。
少なく見積もったとしても、この世の約半数くらいの人は「花が好き」で、そのうち約半数はおそらく「花に『見飽きた』という感情を抱くことはない」。
要するにみんな、美しく咲く花を眺めに劇場までいらしてくださるのだろうと。
だから舞台の上だけじゃなく、普段から咲く練習をしようって考えてね。今週はずっとそんなかんじでお稽古をしておりました。自習やバーはまだつぼみで、しっかりと中を育む期間だとしても、センターからは咲かせる。
はなさかじいさんならぬ、はなさかダンサーよ。ええやん! はなさかダンサー!! おもろい!!
あなたの枯れた心に花を咲かせる、はなさかダンサーちほさんをこれからもよろしく!笑
でもね、こうやって考えるとレッスンもすごく楽しかったよ! 踊る人は茎とがくをしっかり作ってね。こちらのまとめページをご活用していただきまして。
↓バレエ上達へのまとめページはこちら↓
踊らない人も、ぜひ試してみてほしいな。物理的に、ここに茎とがくがあって、花が咲いてるって、感じてみてほしい。
人生が華やぐこと、まちがいなし。
コメント
とても、わかり良く読ませていただきました。ありがとうございます。