音楽から着想する『白鳥の湖』の役作り用考察

バレエ&劇場

こんにちは! ドイツの劇場でバレエダンサーとして働く、筆者の川端(@ChihoKawabata)です。

現在10月17日に控えた初演『白鳥の湖』に向けて練習をしているのですが、初めてオデットを踊るにあたり、役柄への理解を自分なりに深めてみようと思います。(オデットではありますが、演出上主役というわけではありません。どうぞあしからず)

バレエとオペラが絡み合う考察です。よろしければお付き合いくださいませ。

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『白鳥の湖』には原作がない

バレエ『白鳥の湖』をチャイコフスキーが作曲した時点では、明確に「これが原作だ」といえるお話はないようです。

バレエ用の台本は、チャイコフスキー自身が楽譜に書き込んであるト書き(舞台上で起こることの注意書きのようなもの)をもとに書かれました。

チャイコフスキーが頭の中で描いた物語を追う手がかりは、ト書きだけでなく、音楽の中にも残されています。

2幕の幕開け(第10番)『情景』より白鳥のテーマはバレエ、そして白鳥と聞けば誰もが思い出すこのフレーズ。

リヒャルト・ワーグナーのオペラに興味を寄せる方ならご存知のことと思いますが、このフレーズは『ローエングリン』という作品に出てくる『禁問のモチーフ』のオマージュです。(Wikipedia『白鳥の湖』のページで比較も聴けます)

ローエングリンは白鳥の騎士。「自分の名前を絶対に尋ねない」という条件の下、エルザを守り抜くことを誓いふたりは結婚をします。エルザが彼の名を知りたい欲求に駆られるとき、効果的に使用されるのがこの『禁問のテーマ』なのです。

高潔な騎士。けれども謎に包まれており、信頼することでしか彼の愛は得られない――。

これって白鳥の湖の、性別をそっくり入れ替えたバージョンとも言えますよね。いや、まじでこれローエングリンの二次創作(性転換)かもしれん。

一度も名を尋ねてはならないエルザと、一度きりの愛を誓わなければならないジークフリート

つまり永遠の無垢が試されているのですね。愛を疑うことを知らないふたりが悪の邪魔だてに翻弄され葛藤する心も、たった一度きり口にしてしまった一言により幸せの絶頂から悲劇に転じてしまうさまも、どこか重なって見えます。

ロットバルトはなぜオデットに白鳥になる呪いをかけたのか

次に、バレエの中では全くといっていいほど描写されないロットバルトについて。

ロットバルトは悪魔ないし悪の化身として紹介されますが、オデットに危害を加えるような振付は実際ほとんど見当たりません。しかも夜は彼女が人間になることすら許しています(単に魔法がそういう仕様なだけかもしれませんが)。

ロットバルトの娘、オディールにもかけることのできる魔法ですから、「白鳥がほしい」だけならば対象は誰でも構いませんよね。

でもロットバルトはあえてオデットを選んだ。ご丁寧に、彼女の侍女たちも変化へんげさせ、傍にいられるようにしています。

これはやはりチャイコフスキーの思い描く白鳥がローエングリンと同じく『気高さの象徴』であり、不可侵なもの、あるいは神の領域として扱われているからではないでしょうか。

以上を踏まえて辻褄を合わせてみます。

ロットバルトは気高い心を持つ美しい姫、オデットを自分だけのものにしたかった。その野望は叶ったものの、彼が悪であるためか、直接触れたり痛めつけることはできなかった。言わずもがな彼女の秀麗な瞳を自分の方に向かせることも。付かず離れずの距離を保つオデットとロットバルトの間にジークフリートが現れ、物語は動き出す――。

そう考えるとやはり恋に近い感情を抱いていた可能性は大いにありますよね…。筆者が少女漫画脳なだけでしょうか?笑

オデットはかよわい乙女なのか

オデットの性格ですが、ローエングリンに重ねると決してかよわい存在ではないのかなと思います。

「あなたが私に愛を与え続ける限り、私もあなたに尽くそう」

ローエングリンの意図をかいつまんだらこうなりますが、ジークフリートに対しても恋よりこのマインドが先に立っているのではないかと思います。

ひとえに呪いの解除には誰かしらの純潔な愛が不可欠ですし、自分だけでなく侍女たちの運命も背負っています。元より一国の姫という身分もあるので、責任感が人一倍強くても何らおかしくはないでしょう。

そう、これは惚れた腫れたの刹那的な恋愛ではなく、命をかけて忠義を誓うかどうかの次元の話なのです。だからこそ白鳥の湖のラストは生きるも死ぬも、どちらのヴァージョンもあるのかな、と思います。

ラストと言えばローエングリンの最後はバッドエンドと言ってもよいですが、エルザの弟の呪いが解かれるという何かしらの希望は残されていますよね。それと同様に、もしオデットとジークフリートが死ぬ結末を迎えても愛の力で呪いは解かれ、ふたりはあの世で一緒になる、という解釈がされています。

呪いからは解放され、それ以降に(ロットバルトの魔法などで)痛みを伴うことはなかったという点では一筋の光明が差していますね。

オデットへの苦手意識を克服する

オデットのたおやかな動きは白鳥の動作からくるもので、彼女の性格と混同すべきではないと筆者は感じました。

涙を流すマイムも「涙に明け暮れる」という意味ではなく「オデットの祖父が今は亡き娘(オデットの母)を思って流した涙」という発見もありました。

こちらの資料は大変参考になりました。書き手が不明ですが、深く感謝の意を表したいと思います。

物語の舞台も(台本ができた時点で)ドイツですし、チャイコフスキーがワーグナーの影響を如実に受けたことは考慮したいところです。けれど彼の作風や、作品が最初に上演されていたロシアの遺伝子もぜひ取り入れたく思い筆者は脳をロシア語に切り替えました。笑

元々ドラマティックにかよわく踊るのは筆者の性格上、少し苦手なのです。それがロシア語の持つ独特なネットリ感を念頭に置くことで少し緩和されたのではないかなと。いやいやロシア語をけなしているわけではありませんよ、念のため。笑

筆者はドイツに渡って以来、教師や学友に同僚と、ロシア語を聞かない日はないというほどでしたので、特別に習わずともおそらく1歳児くらいの理解力はあります。今なけなしの語彙を総動員して、自分の中のロシアとドイツをぐるぐる混ぜ合わせている最中なんでございます。笑

まとめ

今回はオデットのための役作りということで、この辺りで切り上げます。皆さんが筆者の考察を一緒に楽しんでくれたのならとても嬉しいです。

そういうわけでして、オペラが好きな自分なりの考えから今回のオデットは「気品はドイツ、羽ばたきはロシア」ってな感じでいこうと思います!

舞台に使う映像を撮影するために、一足先にヘアメイクや衣装も着たことで、舞台に立つ自分もいくらかイメージしやすくなりましたし。初演までの残り3週間、コロナウィルスに邪魔されないことを願いつつベストを尽くして参る所存です。ではでは~!

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